大天使ミカエルの想像図は鎧を着て剣を持っているところから想像すると、人間が生まれる前からヤハウェと天使は何者かと戦っていたのでしょう。
それが肉体をもつ存在だったのか、霊的な存在だったのかは分かりませんし、
そもそも外的な存在だったか、心の中に必ず潜んでいる内的な存在だったのかも分かりませんが、
戦い、闘い、いづれの方向であっても悪魔が存在していたと私は思います。
ヤハウェや天使にとってそれはとても厄介な存在であったはずです。
ヤハウェは人類に希望を託すため、良しと認める時期が来るまで人類をとてもとても大切に育てたのですが、その様子を見て図らずも天使長であったルシエルが妬みや嫉妬といった感情を持ってしまいました。
ヤハウェから心が離れ、自分に対するヤハウェの愛を見失ってしまったのです。
その結果、ルシエルはルシファー、いわゆる自身が悪魔になってしまったのだと理解しています。
アダムは人類始祖とされていますが、誕生が推定6000年前だったことから実は人類始祖ではなく、それまで腐敗していた悪の世を立て直すために生まれた、いわばナザレのイエスのような救世主の一人だったようです。
ルシファーにとってヤハウェに愛されていたアダムは、妬みや嫉妬の対象でした。
現代にも脈々と息づいているその感情の発端は紛れもなく悪魔の感情なのです。
直接は無理だったのでしょう。ルシファーはイブを誘惑し、イブからアダムを堕落させました。一倍弱いところを狙ったわけです。
ルシファーにとってヤハウェに愛される存在は全て敵なのです。許せない存在なのです。
それはまさにヤハウェに対する当てつけなのです。
悪魔と契りを結び堕落したイブ、イブに誘惑され悪魔に心を許したアダム。
その二人から生まれた子どもたちは悪魔の子でした。
つまり私たちはヤハウェの子ではなく、元々は悪魔の子なのです。
だからこそ、私たちは悪魔との縁を絶ち、ヤハウェの元に帰らなければならない。
それが今現在の私たちの課題です。
私は間違っていました。
神様は生贄を要求していたから、アベルの捧げ物を選んだのだと。
しかし、カインはヤハウェに愛されていたアベルと手を取り合って、
互いに一所懸命育てた最良なものを協力して捧げることが求められていたのです。
それが「長」なる責任でもあったのでしょう。
ヤハウェはカインを試されたのです。
ルシファーがルシエルに戻るための条件は、堕落した人間がルシファーを超えてヤハウェに戻ってくることでした。
わざとアベルを溺愛し、ルシエルの時と同じ状況を作り、カインがそれを見ても気にせずヤハウェへの愛を信じ続ければ、ルシファーを屈服させることができるというわけです。
そうすれば金輪際、ルシファーは人間を誘惑することができなくなります。
しかし、残念ながらカインはヤハウェの愛を見失い、悪魔の世界に落ちてしまいます。
それが本来の「死」です。
人類はまたしてもヤハウェを裏切ってしまいました。
イエスが誕生するまでその後4000年近く、人類は悪魔に育てられてきました。
悪魔の社会で心清く、全く汚れない青年が育ち、悪魔の誘惑期間40日を無事クリアーし救世主としてヤハウェの願いを実現できる人が誕生するまで4000年の歳月が必要だったということです。
私たちは日々神様というする存在に対し手を合わせています。
しかし、イエス以外にルシファーに勝った人はいません。
「イエスの御名によって」でなければ、本来前に進めないのです。
ただし、イエスの生涯はあまりに短すぎました。
人間は霊と肉の存在ですが、イエスに時間がなく図らずも霊しか救えませんでした。
肉、つまり物質的にはまだ救われていないのです。
だから、未だイエスは十字架から下されないんですね。
日本にも世界にも幾多の神なる存在があります。
しかし、ヤハウェという名はなかなか耳にすることがありません。
悪魔の世界ですから、一番人間につながってほしくない存在なのです。
逆に私たちは今こそそんな遠い存在となってしまったヤハウェを信仰し、