気付かせ屋 サンパチ

ここでは、ほぼつぶやき。

神の正体

前回、割礼について投稿してから、ひと月弱もの時間が流れていました。

その間、私は新約聖書を読み続け、聖書に関する動画を観たりして過ごしてきました。

そしてようやくヨハネの黙示録のページまで辿り着いたところです。

と言っても、聖書に関する理解については今後投稿していくこととして、

今日は、少しだけ「神の正体」について触れます。

 

これから先、情報の開示と言いながら、「宇宙」について報道されることが増えてくるでしょう。

そして人類を造ったのは誰か、つまり神の正体についても情報が溢れてくるはずです。

現在のところ、それは宇宙人。地球外生命体だということだと思いますが、宇宙人だからと言って姿形ある存在のイメージを膨らませることは誘導であると私は思います。

地球に我々がいるのだから他の星にも存在しているはずだとか、地球に住めなくなるから他の星に移住だとか、そういった内容の話が出てくればそれはビジネスの話だと考えるべきだという見方です。

 

私たちの本体は物質ではありません。もっと言えば、本来は肉体を持たないエネルギー的存在であるのですが、地球という星(この世界)は肉体を持つ世界といういわば異次元の世界の中で私たちは誕生した生命なので、宇宙的にとてもレアな存在なのです。

そんなレアな存在であるのは地球という星(この世界)だけで実現することであり、この世界を離れるということは本来の秩序に戻るということなので、私たちは必然的にエネルギーに戻ります。

ただし、エネルギーといっても個々の存在ではありません。集合体というような状態です。

 

この地球(この世界)にある何かのエネルギー(神)によって私たちもこの体を手にしました。

猿でも犬でも植物でもないこの肉体に成長する情報に宿ったのです。

それを奇跡だと言えば奇跡。

昆虫でもなく、魚でもなく、鳥でもなかったのですから、

そして人間であることが今のところありがたく思えるのですから、よかったと思える奇跡です。

聖書によると神は神自身に似せて人類を形どったとされています。

つまり、もともと他の生物になる予定はなかったということであり、

神は私たちと変わらない姿かたちをしているということです。

新約聖書によればその似姿が「ナザレのイエス」つまり「イエス・キリスト」なのだそうです。

 

しかし、旧約聖書によれば創世記にてまずこの世界を造った時、混沌の中でエネルギー(RUACH、RUAHA)が漂っていたとされています。

訳にも色々あるのでなんとなくの理解でいいと思っていますが、いずれにしてもイエスに似た人間のような肉体ある存在がパズルを組み立てるようにこの世界を造ったのではないのです。

神は「(宇宙で最初に現れた)エネルギー」だからです。

 

しかし、私たちはなかなかエネルギーを存在だと理解できません。

ヤハウェ=在る。と言われても、目に見えるものに置き換えなければ理解できません。

宇宙と言えば星や光や酸素やら二酸化炭素を想像しなければ実体として理解できません。仮に物質に置き換えて、宇宙人が目に見えないほど小さな微生物だと言っても理解できません。

くしくも私たちは物資的な情報を得ないかぎり宇宙を理解できないため、神も理解できないのです。

 

では改めて神とは何か。

それは今そこにある「エネルギー」です。

ただし現在そのエネルギーは混沌としているのです。

宇宙を最初に造ったエネルギーが大きく一つあるとして、今はそのエネルギーがさまざまに分離しているのです。

地球外生命体なるものを造ったエネルギーもあれば、地球人類を造ったエネルギーもある。

私個人は宇宙という物質空間は存在しないと思っています。

小さな頃からさまざまなメディアを通じて見たり聞いたりしてきた情報によって、その姿を認識するに至っていますが、地球そのものの姿さえ、実際はわかっていないと思っています。

映像は全て科学の進歩と同じスピードで発展し、私たちはそれを見て姿形を認識してきました。

そして見えないものはわからないと判断してきたのです。

元素記号で表してきた物質も、名前をつけてきたことによって認識しているだけで、実際はよくわかっていないのです。

よく分からないけど、そういったエネルギーが存在していることは確かだ!といってきたわけです。

 

私は宇宙はエネルギーだと言われたら理解できますが、物質的に捉えようとすると必ず辻褄が合わなくなります。全ての人が納得できる答えも見つかっていないはずです。そりゃそうでしょう。

先ほども書いた通り、私は宇宙の情報は全てビジネスだと捉えていますので、信じたくても理解できません。

人間を造ったのが宇宙人だと言われたら、宇宙人とするエネルギーだと変換します。それなら容易に理解できるのです。

だから、この先どんどん「情報開示」だと言って流れてくる宇宙人の情報は洗脳であるとすら思えるのです。

 

エネルギーはたくさん存在しています。

そこにはプラスとマイナスのように全く別の方向性を持つものも存在します。

つまり、私たちを造ったエネルギーにもさまざまなタイプが存在するのです。

例えば造ろうとするエネルギーの存在と、壊そうとするエネルギーの存在です。

この地球にはその全てが「在る」のであり、どちらのエネルギーに寄り添って生きるかは私たち次第なのです。

 

奇しくも私たちは目に見えることしか理解できなくなってしまったので、

造っているのか、壊しているのか区別ができなくなっています。

良かれと思って。。。それが全ての動機になってしまったのです。

それは「個」に目を向け始めたからです。

細分化して末端のエネルギーしか見なくなってしまったので、

しかも物質的なことしか認識できないので仕方がないのですが、

行動することは「自分ができる範囲」であっても、意識は「宇宙を創造したエネルギーの世界」に向けて広げていく必要があると感じます。

 

つまり、「神」とは私たち個々が意識するエネルギーでもあるのです。

それは八百万の神という意味ではありません。全てのものに神が宿っているということではなく、宇宙を造ったある一つのエネルギーのどこに意識を向けているかということで神は人によって変化するのです。いわば壊そうとするエネルギーです。

良いものを造ろうとしているようで、実は壊すことが目的でそれを造っているということを理解する必要があります。

 

信じるか信じないかはあなた次第なのではなく、

例えば創造か、破壊かどちらを意識するかがあなた次第なのです。

創造とは、ものを造るという発想ではなく、創造のエネルギーという視点です。ベクトルです。

神(ヤハウェ)を愛するということは、創造のエネルギーに意識を向けることであり、「信仰する」ということだと思います。

 

偶像崇拝がなぜ厳禁なのかと言えば、神を物質的に捉えているからです。

アダムとイブが知恵の実を食べて堕落したというのは、肉体に意識が留まり、個々の知恵によって価値観を持ち、破壊の方向で考えてしまうようになったということです。

 

私たちは肉体という限られた箱の中にエネルギーを留めている宇宙で唯一の存在であるので、それはそれは宇宙全体に存在するあらゆるエネルギー的存在の注目の的です。

しかも私たちは知恵の実を食べたという比喩で表されたように「脳」という組織をものすごく進化させて、想像の世界を宇宙くらいの容量に広げてきました。
そのスペースは私たち本体とは別にエネルギー的存在の居場所にもなりうるので、物凄い量のエネルギーの影響を受けまくって生活している状況です。

つまり、本来の神なるエネルギーを見失い、自分が何者であるかもわからないくらいの別のエネルギーに影響されてきたので、それらのエネルギーによって肉体も変化してきました。
その結果、ますます肉体であったり、物質を重視するようになったのです。

 

肉体はこの世界にとどまる条件なのでとても大切ですが、それは朽ちていく破壊のエネルギー側に存在することになります。

破壊を食い止めてバランスを保つためには、今まで説明してきた神のエネルギーを意識し、創造の世界へのベクトルを高めていく必要があるのです。

決して、機械の体を手にすることや、脳を維持する技術を発展させること、宇宙空間への肉体的移動、仮想空間への移行を重んじてはいけないと思います。それらは全て物質的だからです。神の創造エネルギーから離れていく行為に他なりません。

 

ちなみに、不安、恐怖、足りない感を感じてしまうような情報にも注意が必要です。

今後はますます地震などの災害についての情報が流れてくるはずですが、それもある意味ビジネスであり、誘導であり、洗脳だと思っています。そう簡単に地震は起きません。気象も毎年同じように起こるのがリズムであり、バランスなのです。

そうではないのなら、それは人為的だと疑う余地があるのです。

災害などの不幸に意識を合わせ、そうならないようにとか、なった時の対処とか、

起こってほしくないといった破壊的なエネルギーを意識するだけで、そちらの集合エネルギーがどんどん増大し、結果それが事実と化していきます。

神のエネルギーによってではなく、私たちが神のエネルギーから離れたことによるバランスの崩壊によって起こることなので、自爆となるのです。

 

そこで私たちは責任を持って、創造のエネルギーを増やしていきましょう。

大丈夫、足りている、満ちている、そう思いましょう。

脳の思考の領域を減らしていく努力をしましょう。

その努力こそが「神を愛する」ってことのはずです。

幸せの一歩なのです。

上から目線でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。