気付かせ屋 サンパチ

ここでは、ほぼつぶやき。

今後やってはいけないこと。

新年明けましておめでとうございます。

今後も、エビデンスに縛られないで自由に書いていこうと思います。

さて、タイトルの答え、今後やってはいけないことは、
偶像崇拝」です。

昨年末、自分自身を振り返る中で、今年は少し軌道修正したいと思い、
そこで選んだものが「聖書」でした。

現在のところ、私が感じることに近いものは聖書しかないように思います。
そこで今後はしばらく聖書に触れながら生活してみようと思っていますが、
すでに今までとは少し違う心情になっていることを報告しておきたいと思います。

例えば、

聖書の内容を汲み取れば、
「悪魔の存在を認め、悪魔が作った宗教を信仰せず、創造主の意図を実現していく。」

日本でいえば、太陽、月、山、石、神社、仏像などあらゆるものを拝まないということです。
むやみやたらに霊的存在と契約を結ばない。それらを崇高な存在として崇めない。
ということです。

となれば、ありがとうという言葉も、創造主と共にあれば当たり前のことになるでしょうから、そもそも生まれないということになります。

で、何を隠そう、聖書は悪魔との縁を断ちきることを目的に作られた節があり、これもあれも悪魔崇拝だよ。宗教は悪魔が作ったものだから信じてはいけないよと教えてくれている本なのです。

だからといってキリスト教ユダヤ教を信仰するという次元ではありません。
どうやら聖書はそれを望んでいないからです。

人類が行ってきた過ち=やってはいけないことを繰り返さない。
その過程の中で見えてくる内容をお伝えしていく。
それが私にとって今後の人生のテーマになりそうです。

そう考えるとこの日本は少なく見積もっても12000年以上もの間

悪魔に乗っ取られてきたことがわかります。
そんなこと日本人が気づいているはずがありません。
気づいていれば初詣になんて行けるわけがない。

お坊さんに葬式なんて頼めるわけがない。
もちろんクリスマスやハロウィーンなんて祝えるわけがない。
多くの祭りも然りです。

日本は12000年以上前、それは縄文時代と呼ばれる遥か昔、そんなことには無関係な霊的にとても発展していた場所でした。

争いは皆無で、言葉も不要だったはずです。何かに手を合わせることなんてあり得ません。
しかし、多くの悪魔崇拝者が訪れ、すっかり変わってしまったのです。

よくよく考えると日出る国といえど、偶像崇拝していなければそこに大きな価値はありません。

聖書が最優先しているのは、「創造主と共にあること」
「霊的な成長を目指す」だけなのです。とてもシンプルでとてもパワフルです。

日本は悪魔の国と化してしまったためか、聖書は宗教の中でも一番やばいものになっています。
世界中では一番読まれている本でありながら、「責任転嫁と懺悔」という解釈が優先されて、一向に平和が実現していません。
ナザレのイエスは十字架から降ろされていない現状です。

仏教は間違いなく偶像崇拝です。ヒンズー教もあの蛇を神の化身とし、蛇に守られた人を神としています。どちらの神もおどろおどろしい姿をしています。

神社は狛犬といういわば怪獣に守られ、沖縄もシーサーなる怪獣に守られています。
今年の干支は龍、神々と戦って敗れた龍なる存在はもはや神のようでもあります。
世界の娯楽はほぼ戦い(スポーツも含む)と、エロスと、呪術。日本のアニメも然りです。

ああ、なんて世界なんだ。。。
この世界を一新する唯一の方法は、、、
戦争であるはずがなく、クーデターでも、暗殺でも、ストライキでも、選挙でもないはず。

実は歌でも祈りでもありません。くしくも全て悪魔の息がかかっていますから。

では何かといえばやはり、「創造主の望みどおり生きる人が増えること」ということになるのだと思います。

ああ、私たち日本人にはなんて難しいことか。。
それでも、まず私がそこを歩かなければ。。。
それくらい「聖書」を通して、創造主の意図を探してみたいと思います。